【コラム】子どもを怒ってわかった。怒ることの無意味さ

幼稚園の先生になって1年目のある日。
「うるさい!!!!!」
そう子どもたちに怒鳴ってしまったことがありました。今でも一番後悔している出来事です。
あれは何かの行事だったでしょうか?みんなできちんと整列をして体育館に行くはずでした。
しかし子どもたちは一向に並ぼうとしません。全然並ばずにフラフラとしている子、話を聞かず好き勝手なことをしている子・・・どんなに呼びかけても全く話が通じません。
1年目の私は『どうしよう、並ばせなきゃ・・・!!』
と焦りが焦りを呼んでいました。今思えばきちんと並ぶ理由を伝えてから冷静に対処すべきだったのに・・・
ついに言ってしまった「うるさい!!!!!」
子どもたちに呼びかけても事態は変わらず。すると今度はあちこちから、
「せんせい、◯◯くんがおした!!」、「オーイィ!叩くなよ!せんせい!!叩かれた!!」、「私が前だよォ!そうだよねせんせい!!」と私に舞い込んでくる無数の「せんせい」の声。今でも忘れません笑
私は並ばない子どもたちと、あちこちから飛んでくる「せんせい!」の声についに耐えきれず、
『うるさい!!!!!』
ついに大声を出して怒ってしまったんです。
怒るって無意味。
「うるさい!!!!!」
そういったあと子どもたちは静まり返っていました。それでも一向に上手く並ぶことができず戸惑っています。
私はといえば『うるさい!』といってしまった罪悪感と自分の無力さから私は泣いてしまいました。笑
わたしの泣いてる姿を見て子どもたちが自主的にそれっぽく並んでくれたり、ほかの先生の力を借りたりしてなんとかその日は乗り切りましたが、私は「うるさい!」と怒って泣いただけ。
大好きな子どもたちに大声を出してしまったことは今でもとても後悔しています。
なぜ怒ってしまったのか?
私は子どもたちが上手く並べず、騒いだり叩いたりしてしまった事実をみて
「並んでって言ってるのに!どうしてわからないの?」
「なんで今叩き合いするの!?並ぶべき時なのに!!」
と子どもたちがなぜ並ばないのかが理解できず、”子どものこころ”をちゃんと見てあげられていませんでした。せんせい失格ですね。
私は子どもの視点に立てていないと自分の価値観で物事を見てしまうので、子どもに対して『なんで!?』と言う気持ちになり、それが重なり続けると怒りやすくなってしまいます。
全ては”自分本位”がもたらしたことだったんですよね。
子どもは「なぜ?」がわからないと納得できない
『うるさい!』と言ってしまったあの日から私は、もう子どもたちにあんな思いはさせたくない。と今まで以上に勉強したり、日々の子どもたちの態度を見たりして、子どものこころを理解するように日々を過ごしました。
そしてわかったのは、どんなシュチュエーションであれ子どもは「なぜ?」を知った上でないと注意をしても意味がないということです。
「なぜ」がわからないと、大人の指示が理解できなかったり、いつまでもその時したいことをしてしまったりします。
例えば、先生が話している時に騒いでしまう子がいたとして、
『◯◯くん静かにしてね?』
と注意します。たいてはそれでもやめてはくれません。そんな時は「なぜ?」を伝えます。
『せんせいみんなにお話ししたいんだけど、◯◯くんがお話ししているとお友だちがせんせいのこえ聞こえなくなっちゃうから、静かにお話きいてくれる?』
と言うと、子どもの態度は一変。静かに話を聞いてくれるようになります。
事前に「なぜ」を伝えることで、せんせいと子どもの意思疎通ができる
怒ってしまった1年目以来私は、「なぜ」を積極的に伝えるようになりました。
整列する時、みんなにお話をする時、遠足で電車に乗る時・・・
大人からの注意は子どもにとってわかりにくいことが多いんです。
『今から電車に乗るから静かにしようね!』
ではなく
『今から電車に乗るんだけど、みんなの他にもお友だちや、大人の人がたくさん乗るのね?みんながうるさくしちゃうと、びっくりしちゃったりお耳が痛くなっちゃうから、静かに過ごそうね!』
なぜ静かにするのかを伝えても、もちろん子どもですから、うるさくしちゃうことだってあります。でもその時の「静かに!」は子どもにとって
「(みんなの迷惑になるから)静かに!」と伝わるので、くり返し注意することがグッと減ります。
怒ると子どもの主体性をなくすことになる
この「なぜ」を伝えるようになってからもう一つ気づいたことがあります。それは子どもが主体的に動くようになったこと。
なぜ静かにするのか、なぜ並ぶのか、ものごとの背景を知ることで子どもたちは自然とルールを理解して行くようになります。すると、ルールの中で自由に遊ぶようになります。
ルールの中で自分のやりたいことを見つけるようになるんです。
一方で過去の私のように、「うるさい!」と、ただ怒るというのは文字通り、
「怒り」
という感情がただただ、突きつけられてしまいます。
子どもは、
怒られる=危険なこと
として捉えます。子どもは大人よりも感受性が豊かで、特に怒りには敏感です。怒りを感じてしまうと、
「怒られるから〜しない」「怒られないから〜する」という発想になってしまうんです。
自分で考えて行動するのではなく、怒られるかそうでないかで行動を決めてしまうので、主体性がなくなるというわけです。
怒るって本当に意味ないんですよね。。。
まとめ
幼稚園の新任時代に、子どもに「うるさい!」と言ってしまったあの日以来、
怒ってしまうことの無意味さ、罪深さを学びました。
子どもは大人の思うようには動いてくれません。
その姿を見てイライラしてしまうのは誰しもがあることだと思います。
ですが、子どもは子どもで、「なぜそうしなければならないのか」
がわかっていないだけなんですよね。
親や大人が、子どもに「なぜ」を教えてあげることで、やっとその行動の意味を理解します。
その繰り返しが、状況に合わせて行動したり、良いこと悪いことの分別をつけながら、主体性に行動したりすることにつながります。
子どもの可能性を生かすも殺すも大人次第。失敗から学んだとはいえ、未熟な私のお話でした。。。
みなさんの参考になれば嬉しいです。